昭和七年の頃の尋常小学校、文部省唱歌 おきやがりこぼしの謎

2011.12.12 3:34:51

尋常小学校一年生用の唱歌集が家にあるのです。

一番最初のページには『日の丸の旗』が。

4分の二拍子、ちなみにFドゥアです。
・2曲目は現代もお馴染みの『はとぽっぽ』同じくFドゥアー四分の二拍子。

・3曲目がなんと、
『兵隊さん』
Dドゥアーで四分の二拍子。
兵隊さんはきれいだな、兵隊さんは大好きだ。とか歌われてます~。

その次、

4、おきやがりこぼし……

『起き上がりこぼし』じゃなかったのでしょうか?
まんなかのあが
当時は『ア』じゃなくて『イ+ア=や』だったのか、
それとも

今でいう
『○○の分際で生意気にも□□しやがって』な、
『~してやがる』こぼしという意味なのか知りたい……(笑)。

こぼしのくせにおきてヤガル!

それでおきやがりこぼし?

ていうか『起き上がりこぼし』と当て字してる私がそもそも、
勘違いなのかな~ほんとはおきやがりこぼしひょっとしたら今も普通(笑)?

起き上がり→おきやがり、
だった当時は

はい、出来上がりました!
→はい、でき『や』がりました

と発音していた?
そして、

どうぞ召し上がれ
→どうぞめし『や』がれ

になるんですか?今の耳ではぞんざいに聞こえかねません(笑)。

じゃあそのころに『嵐にしやがれ』が放送されていたら
『嵐に仕上がれ』と書いてしやがれと読まれてたんでしょうか。……それは違うか(笑)

当時日本語はどのようにかかれていどのように発音されていたのでしょうか。百年たたないうちに言葉の掟は変わってきたのですね。
なぞは深まる……。


ちなみにタコタコあがれ~
はたこたこ“揚がれ”なためか、この読み仮名は
『やがれ』じゃなくて『あがれ』となっております!

そして牛若丸も登場。小学校一年なのに『弁慶』じゃなくて字は『辨慶』難しい字を歌ってたんですねぇ。
当時の文部省唱歌には日本の歴史上の人物にまつわる名シーンを歌ったものが各学年に登場しているようです。

私は戦後の生まれですので(笑)『兵隊さん』はなかったけど『牛若丸』もなかった気がするなあ~。
『兵隊さん』は、多分、戦争が終わってからはなくなったでしょうが
牛若丸はいつから教科書に載らなくなったんでしょうね~。これも軍事高揚(笑)に走ると判断されて墨で消されたりしたんでしょうか!
戦争直後無事だったけど後から時流に合わなくてなくなったんでしょうか?気になる。いつから合わないとされたんでしょう。
歴史と音楽いっぺんに学べて二度おいしい仕掛けだなあと思ったんですけどね。


当時の文部省緒言に記されているのは、
『全部で27曲のせてるけど取り扱い者に選択の余地を与える』
という感じになっているので、兵隊さんは昭和七年の段階では義務づけられてなかったのかも。
また、『載ってる曲の順や難易度だけでなく、季節についても考慮せよ』などかかれています。“せよ”は片仮名ですけどもね。



他に印象的なのは『親の恩』という歌。
・雨の日も風の日も飛んででかけて雛に餌を見つけて運んでくる親鳥の姿を見ましたか?
・ヒヨコに餌をやるために庭のあちこちから必死に餌を広いあつめるニワトリを見ましたか?

とたずねるような歌詞です。
うーんすごくいい歌ですねぇφ(..)
親の恩を知る、というのは自分が愛されて守られていることを知ること、親が身を挺してくれていることを感じることなんじゃないでしょうか?


尋常小学校唱歌は実は、六年生のまで全部揃っているので、また日記に書きたいと思います(^ー^)