様式・スタイルについて

2012.03.08 1:50:28

なんとかスタイルという言葉を聞いても、
それを語るほどのスタイルは何一つ身につけていない私である。

そうなろうとねらって生きたのではなく、
生きてみたらたまたまそうだった。ということでしかない。
つまりスタイルを極めないことにこだわってるわけではない(笑)。特に何も極めていないのだが、スタイル無用論者ではないつもりである。


スタイルを極めている人には
ハンカクさい(北海道弁で“中途半端”などの意)
のは論外なのでつまり圏外な人間(笑)でよくも悪くも気にされない。


しかし何かスタイル(様式)を
極めているかあるいは傾倒している場合に自分側のスタイルに基づく審美眼のままで別のスタイルをみて

あちらはやぼったいだの
あちらは軽薄だのと


極めた側が互いのスタイルを言い合う感じが世の中に起きてることがある。
その美学を信じて生きてきたからこそ極められたのだから、自分の信じる美学とそれにちなんだ審美眼で評論するのも仕方がないことかもしれません。

そのように一方の審美眼により別のスタイルがけなされてる場合に
私は


どちらも素晴らしいのだが……。



という気持ちでぼんやり聞いていることしかできないのだった。
そういう自分が残念といえば残念だ。何も持たずに年をとるとは予測していなかったからなおさら。

どちらもその美学を通して見ればそう見えてごもっともであると思う。



和辻哲郎の『埋もれた日本』のなかに、昭和25年の冬に書かれた「二条離宮の壁画」という作品があるのです。私は『埋もれた日本』を大学受験の現代文対策によいと言われて、書店にはなかったので注文して読破したのがきっかけでであったのですが、
気に入ったところに紙をはさんでおりました。そのなかにこの一節がありました。


『異なった様式によって作り出されるそれぞれの美しさを追うて行けば、芸術的にいずれが一層成功しているかを比較してみることはできるのである。その際必要なのは、様式が異なるに従って、それをながめる眼鏡の度を合わせ変えるという用意である。一つの様式にだけ度を合わせておいて、そのままで他の様式の絵をもながめれば、はっきり見えないのは当然であろう。そういう人が、自分の用意の不足には気づかないで、この絵はぼやけていると主張する場合もなくはない。その人は主観的には正直であるかも知れぬが、客観的には嘘を言っているのである。』

というもの。
十代の私はこの締めくくりの一節に心酔したらしく、大変気にいっていたらしい…(笑)。

信心深さのあまり、美学の表し方の形がちがうことについて思いやりがない態度にぶつかるとその美学がよくてもすばらしくても私は傷ついてしまう。
どちらにもなれず、何者でもない私だから、どちらが悪く言われても傷つくのです。
被害者気分という意味ではありません。
この傷つくといえのは悲しみに襲われるという気持ちに近いものです。

『そんなことを言わなくてもあなたを素晴らしいと思っているからここにいる』、
それが伝わらないことが私はいつも苦しい。
称賛するために何かをけなすことが義務づけられるのなら、
それはいつの時代のどこの国のなんという様式とも関係ない人界戦術だと思う。
人界戦術って、スキルとしてあって損するものではないので否定しないけど(笑)


私はこの戦術がなかなか身につかないのだった(笑)。
『こずるく適当にあわせておけばいいやんけ!まずは人は喜ばせてナンボや。喜ぶならなんでも言っておけばいいやんけ。思ってない悪口言いたくないだのそんなキレーゴトは力つけてから言え。』
とささやく天使か悪魔かわからない声もきこえているのだが、思ってない悪口まではどうしても言えない。
思ってないのに一緒にけなす、それを何らかの信仰確認の踏み絵にされるなら私はその絵を踏まない。
理屈で説明できないのですがその踏み絵出されると体が全く言うことをきかないのです(笑)。


そしてそれは私の意図して作り上げた私のスタイルとか信念でもなく、美学でも理想論でもないのです。
元々そういう体質なのであって、
踏まないことで踏み絵制度を当然とする人にケンカを売るつもりも全くありません。なにかグループ統一にそういうやり方が合う人もいるのでしょう。
ただ
『その絵は踏まないことに、
なぜだかそうなっているので
感じ悪かったらすみません。
でも踏みません。
それ踏まないと入れないとこには入れなくてもしかたがありません。遠くから拝見いたします』

という感じなのでございます。

何が言いたいのか自分でもよくわかりませんが、
“思ってない悪口を言う”
それ以外の方法で
できるだけの共感と尊敬を伝えられるような人に、私はなりたいです。
李恢成の
『北であ南であれ我が祖国。』に興味をもったのは違う信念を持つ国両方が祖国だという立場に感じ入るものがあったからです。

私に芸術への憧れを与えてくれたすべての芸術が私の祖国。
どこの国のなにがけなされても私は悲しい。怒っているのでもなくゆるせないとかの憤りでもなくただ悲しいのですよ。


と私は、言ってみせた(←和辻がいうところの島崎藤村風終止)。