幸福はわかちあうようにつくられている

2008.11.11 17:39:21

コンサートで何しようかなと迷うとき、私が思い出す言葉です。

わかりやすい、わかりにくい、と二分されてしまいがちなプログラムの構成材料。
演奏するがわの方ならば、
『わかりやすいのでお願いします』
と言われることは少なからず経験されているのでは?
私は両方あることでバランスがよいと思っています。


手間のわりにウケない曲、苦労のわりにつかみ弱い曲、など(ぱっとしない)が多少あるほうが、
『演奏効果に恵まれていて手応えのある曲(ぱっとしてる)』
が、より引き立つのではないでしょうか。
ぱっとしないもの(笑)は、洋服の裏地にも凝ってるんだよ☆みたいな気持ちで演奏します。


表の印象には残らないのですが、実際のききごこちを整えるには、そういう曲もあって悪くないのでは。


わかりにくい曲、わかりやすい曲、何がそれにあたるかは人それぞれじゃないかと思われますが……。
自分でわかるものだけ聞きかじると、自分がわからないものが好きな人の気持ちがわからないままなんじゃないでしょうか。
そんなわけで私は
『とにかくわかんないですが、これの何がいいんだか。』
と思っても、しばらくじっと聞くことにしています。


けして、寛大ではないたちなので、わからないのが、もうすっごく、イライラして不愉快なんですけどね(笑)。
わかるものにきもちよくしてもらうのは、聴衆としては当然の権利だけれど、私はプレイヤー。
耳のバランスとゆうか、フラットにしておきたいので、興味のないもの、仕事に関係ないもの(笑)もとりあえず聞きます。
好きなものは何百回でも聞けるのに、興味のないものはほんと、どんなにひまなときでも、一回でも大変ですね。


やはり一秒でもわかりあえる、音楽をオーディエンスとわかちあえるときに、やっと人前で吹けて良かったと感じるのです。
自分は部屋で勝手にあれこれ吹いているのでも、すでにかなり幸せなおめでたいたちなんですが(笑)、好きなものをわかってもらえたらもっと幸せなんですよ。
でも、聴衆がわの好きなものを、やりとげられる自分がいたら、そういう自分もかなり好きなんです。
別に、それで、自分がいなくなってるとも思わないんですよ。
自分が楽しいんです!


単に自己実現としての楽器の腕を磨くだけではなく、
わかちあえる形を探す、道をつくる、方法を工夫する、関係を育てる……そういう努力も惜しみたくないなと思います。
努力とゆうか、わかちあえることで、自分が喜びたいからです。
動機はあくまでも自己中なんでした(笑)。


とゆうかんじで本日のタイトル
『幸福は、わかちあうようにつくられている(ラシーヌ、仏十七世紀)』
というのは、私が迷うとき、あるいはなんかよく原因わからないで勝手に不幸な気分のときなども(笑)必死に思い出す言葉なのです。


単に吹くのだけでもかなり必死で、あれこれ気が回らないこともしょっちゅうですから、そうしてますよとは言えない。
でも、
『わかちあえる幸福』
が、個人的には、理想的なベーシックな(素直な気持ちの)正解であり、コンサートの達成目標の第一義なんだと思います。


私は、目の前に生きて座っている人の豊かな笑顔が見たいんです。なんかちょっとでも
『ぷ。クス』ってのが見たいの。

安心してないと、笑えないもんね~☆


これからたくさんの会場で皆さんの笑顔に出会うことを楽しみに、研鑽をつんでまいります♪
トランペットうまくてしかもグッチ裕三さんみたいなエンターテイナーになりたい(笑)。


そうゆう私ですが、よろしくです!!