ハングリースパイダー2

2009.01.16 2:27:51

『音楽にドラッグは必要か』続きです↓。

もしもドラッグがなければ、多くの人の心をつかむ曲は生まれなかなったかもしれない。のであれば、その曲の誕生のために、ドラッグは必要悪なものかもしれない。


もちろんドラッグを使わなくても、いい仕事のできる人が沢山いるのは十分承知の上です。
それでも
『もしも音楽が手にはいるなら、悪魔に魂を売ったってかまわない』
とまで激しくなにかを求める気持ちや、見境のない行動をとったり、自分の存在をあらゆる手段で確かめないと過ごせないという強い孤立感。
私自身と照らし合わせても想像できるのです。



でも今日、
私は、何もドラッグの正当性をアピールしにきたのではありません。
これには音楽家が社会で生きてゆくときに、どうあるべきかという私自身の課題がからんでいます。

人は必ずしも音楽に、明るく清潔感があり、安心できるものだけを求めているのではなくて、
『不良ぽい感じや普通じゃない感じ』
が魅力にもなりえるというのは、よくわかるのだけれども…、


私が音楽家や人に憧れるとき、何が一番感動したかって。
思い出してみると、
それは、

『どんなものにも汚されないたくましい純粋さ』
『世知辛さを忘れさせられるような優しさ』であったりして。


そこに、ドラッグはあてはまらないのです。

私は音楽が好きだから、音楽家に憧れるから、音楽をする人には、人々の憧れの存在であってほしいし将来音楽家を目指す子供たちに夢を与えるような存在であってほしいと願います。


そこには、やはり、ドラッグは必要がないのです。



必要がないのは当たり前かもしれませんが、私は自分がまとまるのに時間がかかってしまう性格らしいのですね。


それでは、私にドラッグについて是か非かまで悩ませた、大変自分もすきでよく聞いている曲を演奏いたします。

蜘蛛の歌なんですが、餌にするはずの蝶に恋をしてしまい、網をはることをやめた。自分がただ生きることよりも、愛に生きることを選んだ蜘蛛の物語です。

今後、世の中の豊かな才能が、なんらかの誘惑に汚されないことを願って。


ハングリースパイダー、どうぞお楽しみください。




2002年7月23日のUHB大学、内容の一部でした。
読み返すと若いなあと思いますがあえてそのままで記載。。


音楽がよければなんでもありじゃないか、という考え方、音楽家としての劣等感からすぐに否と言えないことがあります。
『そこは間違ってるけど、自分よりはすごい才能だよな…。』
できない奴が口出すな、みたいな美学(笑)も気になるし。


でも、間違ってるのを許さないとかそういう断罪をしたいのではないけれども。


もしもそこ、間違ってなかったらこの人もっと素敵なんじゃないかな?
と思うことはあります(笑)。
歴史上の偉人が問題児的にやんちゃなのは自分に関係ないから気にならず、作品だけを楽しめますが、

実際関わる今生きてる人が困ったパターン(笑)だと、作品なにがしがどれだけよくて感動しても、やり方はまねしたくないですし同調も賛同もできないですね。


昔は自分よりすごければ、善悪すべて受け入れなければいけないのだろうかとずいぶん悩みましたが、
今は、受け入れるかいれないかについては、自分の心がしっかりしていればとりあえず大丈夫なんだなと思います。


この文を作った頃の自分が色々葛藤していたんだなと思い、今日の日記も未来の自分は若々しく思うのでしょう。


このように日々の記録ができ、皆さんに読んでいただけることを幸せに思います。