名取市閖上(2)

2013.02.03 16:53:43


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「閖上の記憶」
閖上中学校の目の前にあるこちらでは、被害の様子が展示してあり、
ビデオなども見ることができます。小学生のお母様という方が説明されていました。

ここから少し離れたところに公民館があるのですが、
そこは2階建てだったため、3階建ての中学校に逃げる途中で(たった300mくらいの距離)流されてしまった人も多くいるそうです。確か公民館に残った人たちは助かったと言っていたと思います。

この街のメイン道路はひとつであったため、逃げる人たちがすべてその道路に集まってしまい、渋滞が起こり逃げられなかったというお話も聞きました。「車を降りて逃げろ」と叫ぶ人がいても、なぜか車から降りてくる人は少なかったそうです。大丈夫だと思ったのでしょうか・・そして流されてしまったということです。

また、この地域は津波の第一波では被害がなかったそうで、大丈夫と思って家に戻った人たちが第二波、第三波で流されてしまったということもお聞きしました。
長い歴史のなかで1000年くらい前には津波被害の記録があるそうなのですが、歴史が古すぎて津波は大丈夫という感覚が特に年配の人ほど根付いていたようです。それに3月11日の2日くらい前にやはり大きな地震があったそうなのですが、その時は津波の心配がなかったため、今回も大丈夫だと思った人もいたそうです。


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時間が止まった閖上中学校。
ここでぜひお参りをしていってくださいと勧められて行きました。
こちらでは帰宅をしていた14名の生徒さんが亡くなったそうです。

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道路フェンスは至るところで倒れたり曲がってしまったりのままでした。

「閖上の記憶」で、中学校から撮ったという映像を見せていただきました。
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想像以上に流れが速いのがわかります。
津波は1mで家が流されるそうですが、この地域は2m来たそうです。
この場所で・・・・実際に目の前にしても、信じられませんでした・・

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復興を願って内陸部に仮設された「閖上さいかい市場」の浜やさんで豪華な食事をいただきました。

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今回、駅前から乗った地元の「平和タクシー」の運転手さんがいろいろ説明しながらまわってくださいました。このタクシー会社自体も被災し、車が半分流され、私が乗った車も東京からいただいたもの、ということでした。社屋を通りかかりましたが、プレハブでした。
閖上は被害に合った地域のなかでは小さい町であるため、注目されることも少なく、人々は仙台や都心に流れていったそうです。頻繁にメーターを止めて降ろして見せてくださったりした上、「ありがとうございました」と何度も頭を下げてくださる姿が印象的で、良い触れ合いに感動する気持ちと、なんだか切ない気持ち・・まだどこに気持ちを落ち着けて良いのか、整理がつきません・・。


2年が過ぎようとしていますが、痕跡が生々しく残り、まだまだ被災は続いているという印象が強く残りました。トラックが頻繁に行き来し、渋滞していました。新しい堤防の建設は着々と進んでいるそうです。本当は石巻あたりまで足を運びたいと思っていたのですが、仙台からは往復4時間とのことで、時間を捻出できませんでした。ただこの町に来て、とてもよかったと思います。着々と復興が進みますように、ささやかですが祈りたいと思います。