広瀬量平

2008.11.26 14:04:42

今日の新聞で広瀬量平さん(78歳)の死去を知った。
函館出身、北大教育学部、東京芸術大学作曲科を卒業の音楽家だ。

私の接点は1975年~1981年、東芝日曜劇場で北海道放送が制作し倉本聡が作・脚本の「うちのホンカン」だった。
当時の新聞に道産子3人(主題歌・福沢恵介(浦幌)、作曲・彩木雅夫(帯広)、音楽・広瀬量平(函館))が音楽を担当と大きく載った。

1回目の放送は1975年5月18日だった、オープニング、短いイントロダクションの後いきなり主題歌の「ふりむけば」が流れドラマが始まった。
1時間の番組中BGMがいたるところで流れている、よく聞くとすべてが主題歌の編曲だった、そしてエンディング。ドラマのフィナーレからそのままワンフレーズの歌が入り終わった。

そういえば東芝のスタジオでレコーデイング中、ドラマ用に別バージョンの歌を入れた記憶があった。1番だけ、春と秋の言葉の入れ替え、ワンフレーズだけのパターンなど。

2回目の放送は秋、その年の10月19日だった。
今編集をやっているよといわれて、北海道放送の部屋に行ってお会いしたのが45歳の広瀬量平さんとの初対面だった。
温和な印象を感じた、素敵な人だった。
「君が主題歌を歌っている恵介君か」と握手を求められ、緊張しながら同席させてもらった。

ちょうど映像に音楽を入れている最中、主題歌のメロデイーが使われていた。
チェロ1本であっという間に悲しい場面に変わってゆく。
クラッシクはレコードで聞くだけだったのに自然に料理されていく自分を感じ、身近な存在に変わった。

今私の音楽の根底に、アコスティックやクラッシクの部分が気付かぬうちに存在するのは明らかにあの日を境にしていたと感じている。

広瀬量平さんのご冥福を祈ります。ありがとうございました。