「小樽運河ものがたり」

2009.12.07 15:36:11

小樽の観光客の入込が、今年前年割れ20%以上とニュースが流れた。
中国、韓国人のお客が急激に減ったからだそうだ。


そんな時に、お世話になっている作家の田村喜子先生から一冊の本が届いた。
「小樽運河ものがたり」が完成したのだ。

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3年以上になるだろうか、この本のために小樽の取材を先生が始めたのは。
当時、この本を書くのは大変だ!と言っていたのが読んでみて解った。

主人公と言っても良い二人が主に登場する。
当時の小樽市長志村和雄と北大助教授飯田勝幸、そしてそれに反対する運動家達との20年に渡るまさに骨肉の戦争史となるからだ。

その間反対派は時の政党も裁判所も新聞をも巻き込んで問題の解決がどんどん難しくしていった。それぞれの反対派の主体が少しづつ違ってくるのだ。烏合の衆の集まりによくある話で、絶対反対はが結局強くなる。

国鉄民営化や三里塚闘争、有明海埋め立てなど数えたら切が無い。
マスコミが絡むと更に悪くなる。

小樽運河もそうだった。

そんな極悪非道の二人と揶揄された二人が、今の小樽運河を完成させるまでの物語になっていた。もちろん反対派にも「気持ちはわかる」と配慮はしてあるのだが。

確かに最初の計画は運河をつぶして道路を作ろうという計画に始まった。
しかし反対運動が起こって、その反対運動は最初は善であった。
何とか運河と共存できないかと飯田勝幸助教授に頼みに行った時から反対派の正義が右往左往して崩れてゆく。
それに対して極悪非道といわれた二人は強い信念で一歩も引かなかった。

飯田は運河を残しつつ、小樽の未来を見据えた都市計画(現在の小樽運河)を示す。
その計画にOKを出しそうになった反対派のトップもいたが、現状維持派に負けてしまって、妥協を許さない。

公共事業には負のイメージが多い。特に昨今の空港やダム、高速道や新幹線など情報が見えないため反対派に義があるように見えるし、たぶん建設関係者が絡むと更に灰色感がます事が多い。

ここが他の公共事業と一線を画す小樽運河の成功の秘訣だったろうと筆者も語る。

飯田助教授が「運河は小樽という都市の象徴であり、小樽の歴史の証人でもある。このことを後世に伝えなければいけない。一方、現代の交通事情にも十分に対応しなければならない。小樽運河を過去の遺産に留めてはいけない。100年後の小樽にも残すために何が出来るか、そして「生きた」と思いたい」と語らせている。

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田村先生読み終えて感動しましたよ。