名古屋 特別養護老人ホーム
2010.01.05 12:39:11
名古屋の特別養護老人ホームに最初に訪れたのは1985年だった。
写真は吉永さんというおばあちゃんで1986年、2年目の時。
前年コンサートの最中に突然歌いたいとステージに上がってきてマイクを取り上げた。
どうやら取り繕って「宵待草」を綺麗に歌い上げたおばあちゃんだった。
次の年は予定に組み込んで歌ってもらった。
彼女はホームでも一番重症の老人だが歌は関係ないようですべて歌詞を暗譜していた。
施設の人たちも彼女のそんな能力を知らなかった。
ところが3年目、施設側から今回はステージに上げないようにと依頼された。
この後、彼女はみんなからイジメにあったというのだ。
えこひいきは怖い、勉強させられた一場面だった。
この施設にはその後20年以上の付き合いとなった。
同じ施設内に幼稚園もあり、時々参加してくれたりする。
子供達を見るのはお年寄りには最高の栄養らしい。
3年目だったろうか、名古屋のTV局が取材に来た、コンサートの最中うろうろして、頭に来たが、翌日の放送でもっと頭にきた。
現場を知らないキャスターが、「福沢さんてフォーク歌手でしょ!おばあちゃん達に解るのかなあー」と笑って閉めた。
歌っていたのは大正昭和の懐かしい歌と童謡だったのに。
言葉の暴力を感じた思い出でもあった。
名古屋・特別擁護老人ホーム「太陽の杜」語りつくせない思い出の場所だ。
吉永さんは5年目に行った時、亡くなっていた。
写真は吉永さんというおばあちゃんで1986年、2年目の時。
前年コンサートの最中に突然歌いたいとステージに上がってきてマイクを取り上げた。
どうやら取り繕って「宵待草」を綺麗に歌い上げたおばあちゃんだった。
次の年は予定に組み込んで歌ってもらった。
彼女はホームでも一番重症の老人だが歌は関係ないようですべて歌詞を暗譜していた。
施設の人たちも彼女のそんな能力を知らなかった。
ところが3年目、施設側から今回はステージに上げないようにと依頼された。
この後、彼女はみんなからイジメにあったというのだ。
えこひいきは怖い、勉強させられた一場面だった。
この施設にはその後20年以上の付き合いとなった。
同じ施設内に幼稚園もあり、時々参加してくれたりする。
子供達を見るのはお年寄りには最高の栄養らしい。
3年目だったろうか、名古屋のTV局が取材に来た、コンサートの最中うろうろして、頭に来たが、翌日の放送でもっと頭にきた。
現場を知らないキャスターが、「福沢さんてフォーク歌手でしょ!おばあちゃん達に解るのかなあー」と笑って閉めた。
歌っていたのは大正昭和の懐かしい歌と童謡だったのに。
言葉の暴力を感じた思い出でもあった。
名古屋・特別擁護老人ホーム「太陽の杜」語りつくせない思い出の場所だ。
吉永さんは5年目に行った時、亡くなっていた。