サハリンコンサート 1992

2010.01.03 17:33:57

昨日に引き続き思い出の写真、今度は1992年日本人で初めて戦後サハリンでのコンサートです。

6月、第一回北海道・サハリン友好・対話集会が行われ、2日目の音楽交流会で歌いました。

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北海道から僅か50分のフライトの土地に音響をはたして持ち込むべきか、ロシアの音響で大丈夫なのか?事前の打ち合わせは大変でした。
結局、映画館の音響が一番しっかりしているということが判り、最低の持込機器で済みました。
でも着いてから、電源がたりないことが判り、特別にその日電力を上げてもらってのコンサートでした。
何しろしょっちゅう停電を起こしていたのですから。
何をするにも薄暗い会場でした。

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民族衣装を着た女性達に囲まれてご機嫌の交流会でした。
みんな美人なのですが、10代の若い娘ばっかり、どうやらロシア料理は肉をつけて寒さをしのぐため、年をとると体が変化するようでした。(ほんと!)

サハリン1992横路ヒョウドロフ3.jpg

時の知事、横路知事とヒョ-ドロフ知事にマイクを向けて歌わせたハプニングです。
「知床旅情」と「走れトロイカ」だったでしょうか。

おかげで帰国の日、記念撮影を撮らせてくれました。

サハリン1992横路福澤4.jpg

コンサート会場だったか、宿舎のホテルだったか忘れましたが、表は立派なのですが、中はとっても適当な建物でした。
シャワーが出なかったり、暖房が止まったり。6月といえど、ユジノサハリンスク
(豊原)は毎日朝霧が発生しとても寒かったのを覚えています。

サハリン1992ホテル?5.jpg

随行の記者達とすっかりうちとけてホテルの部屋で酒盛りが始まりました。
当時1ルーブル10円の時代でした。10ルーブルで北海シマ海老が食べきれないほど買えたのでした。

サハリン1992酒盛り6.jpg

ここで聞いた話にみんなで笑ってしまいました。
二つのホテルに分かれて泊っていたのですが、横路知事が別のホテルに泊る随行員達を励まそうと急遽訪れたところ、入り口で娼婦達に囲まれて部屋の番号を聞かれたとの事、サハリン政府は知事の泊る、我々のホテルのみ警備を厳重にして娼婦を追っ払っていたのでした。記事にはしなかったそうですが。

ユジノサハリンスクは戦前の豊原市でほとんど建物が昔のまま残っているとのことでした。写真の場所は旭山からの眺めで真ん中のちょっと右側が旧国鉄豊原駅でした。
そこから山に向かってまっすぐの道の両側がサハリン州の施設が並び、そのほかは昔のままの家が並んでいるそうです。

ユジノサハリンスク サハリン1992 7.jpg

2000年にもサハリンに行くことができました。

サハリン2000年コンサート 8.jpg

わずか8年で、街には北海道の中古車が(札幌の商店の名前入りの車)あふれ、夜には若者達であふれていました。(前回は夜には人っ子一人いませんでした)

懐かしい思い出です。