十勝 浦幌町
2011.09.28 13:09:48
9月の連休、墓参りも兼ねて出身地である浦幌町に行ってきました。
この街を一望できる場所が東山にある平和塔です。
昭和34年ごろに戦没者慰霊と平和を祈って作られた平和塔ですが、今も健在できれいに整備されていました。
高校までこの町にいましたので、この場所は授業を抜け出したり、やまぶどうやコクワ、春にはスズランを採りに来ては必ず寄っていました。
面白い写真があります。
この塔ができた時のものですが、ベンチに我が実家が酒屋を営んでいた時の広告が載っていました。「福沢兄弟商会」の文字、昭和37年には「福沢酒店」になりましたから、私にとっては貴重な写真です。
後ろの木がまばらでした。
ここからの街の眺めです。
昭和36年(1961年)ころ私が「フジペット」で写した写真がありました。
木を避けて写したので合成するのは大変でしたが、50年の差は歴然としていました。
1952年十勝沖大地震でわが町は壊滅しました。我が家の前の商店の写真ですがほとんどの家が2階建てから1階建てになったと聞いています。実家の店も同じでした。
お参りに行ったお寺があり、その右下100mの場所です。
最後に十勝太海岸までひとっ走り、次の目的地に向かいました。
この街を一望できる場所が東山にある平和塔です。
昭和34年ごろに戦没者慰霊と平和を祈って作られた平和塔ですが、今も健在できれいに整備されていました。
高校までこの町にいましたので、この場所は授業を抜け出したり、やまぶどうやコクワ、春にはスズランを採りに来ては必ず寄っていました。
面白い写真があります。
この塔ができた時のものですが、ベンチに我が実家が酒屋を営んでいた時の広告が載っていました。「福沢兄弟商会」の文字、昭和37年には「福沢酒店」になりましたから、私にとっては貴重な写真です。
後ろの木がまばらでした。
ここからの街の眺めです。
昭和36年(1961年)ころ私が「フジペット」で写した写真がありました。
木を避けて写したので合成するのは大変でしたが、50年の差は歴然としていました。
1952年十勝沖大地震でわが町は壊滅しました。我が家の前の商店の写真ですがほとんどの家が2階建てから1階建てになったと聞いています。実家の店も同じでした。
お参りに行ったお寺があり、その右下100mの場所です。
最後に十勝太海岸までひとっ走り、次の目的地に向かいました。