北垣国道

2010.02.10 16:06:44

明治25年から29年(1892―1896)、第四代北海道長官であった北垣国道について、昨日の二宮牧場の時に触れた。
彼の凄さは、その前の赴任地京都、明治14年から25年(1881―1892)知事として活躍した時に遡る。

京都、南禅寺の境内にある赤レンガの構造物を見た人もあるかと思うが、あの琵琶湖疎水を作った人であった。
「琵琶湖疎水」は水不足で悩む京都に琵琶湖からトンネルをほって京都に水を運ぶという壮大な計画で、その水を利用して水運、水力発電、工業を興し、当時日本で始めて電車を京都に走らせた事でも有名な事業だった。

この疎水事業に抜擢したのが若干22才の田辺朔朗(今の東京工大一期生)という男で日本で始めて日本人による高度トンネル工事を完成したことでも知られる。

この二人のコンビ(北垣の娘婿になっている)がやがて北海道に革命的影響を与えたのだった。
当時大型船の接岸が出来なかった函館港の改修、小樽運河に通じる防波堤、埠頭の建設、そして狩勝峠にトンネルをほって滝川―旭川―釧路を開通させた根室本線の完成だった。

一時棚上げしかけたこの事業を、二人が鉄道省の長官後藤新平を説き伏せて継続させなければ今の十勝の繁栄はずいぶん遅れたものになっていただろう。

その後北垣は1912年に死ぬまで枢密院議員となり、田辺は京都帝国大学教授1910年となり1944年に死ぬまで、鉄道、トンネル工事のエキスパートとして君臨した。
関門トンネルを指揮したのも田辺だった。

1907年(明治40年)、私の爺様が開通した根室本線に乗って、いよいよ我が故郷浦幌に定住するのだった。