ボリビア(3)

2015.02.27 1:27:07

今回ボリビア行きの大きな目的は、マスタークラスなどの他に「基礎技術に関する講義」と先生方を対象にした「ギター指導法についてのアドヴァイス」でした。現地の先生方はもちろんしっかり勉強されて教えているのですが、プロギタリストが訪れたことのない、プロの演奏に触れる機会もほとんどないというこの地ではどうしても理解や解釈が遅れている部分があるのです。その部分を補い、音楽院のメソッドをより確立させるということが目的でした。
優れた先生が多くいる日本は、教育という面ではやはり恵まれた環境にあると改めて思いました。

「基礎技術に関する講義」は、事前にチェックしていた生徒さんたちのレベルを踏まえて足りていないと思われる部分を中心にお話しました。藤井先生から「皆調弦をしても正確に合っていない」ととても気にされていて調弦についての質問と要望がありましたので、調弦については2,30分お話したかもしれません。ギターの調弦の奥深さについて、自分で話していても改めて感じさせられました。またレベルチェックしたときに講義にちょうど良い人を3人ほどピックアップしていましたので、実演を交えて具体的なお話ができました。大体以下のような内容をこの時間とマスタークラスを含めてカバーできたかな・・


姿勢
・座り方、足台の高さ、椅子の高さ

調弦の仕方
・弦の選択、付け方

音の出し方
・タッチの基本
・左手の基本

音楽的な演奏のために
・フレージング
・呼吸
・拍感

音感、音程感、和声感について
・和音のバランス、響かせ方
・声部の聞き取り方

アンサンブルの重要性
・初見力、読譜力、人の音を聴く(声部聞き分け)、合わせる力(音色、チューニング、調和)、和声感

有効なエチュード
・エチュードの使い方(練習の仕方)
・スケール、アルペジオ、トレモロ、目的・レベル別


ほんとうに基礎的なことですね・・私がお話したのは、普段からレッスンで生徒さんたちに幾度となく伝えていることそのものです。(というかそれしか話せないのですが(^_^;))これまでいろいろな人に話してきたことが役に立ち、歓迎される場があるというのは嬉しく幸せな思いでした。

「ギター指導法についてのアドヴァイス」ですが、マン・セスペ音楽院では1か月ごとにステップアップの試験を受けることができ、出来る人はどんどん進級していくことができるシステムです。その試験を格として日々のレッスン内容が決められていて、指導内容は細かく審議されたものでした。ですがそれでも抜け落ちている基礎的な内容をどこに盛り込んでいくか、またカルレヴァーロ教本など知ってはいても実際どのように指導に取り入れていけば良いのか、より短期間で効果的な指導法とは、という考察を含めて、私が日本でどのようにしているのか紹介しながら皆で話し合うことができました。

そのなかで藤井先生のこれまでの功績や考えも多く聞くことができ、私にとってもとても有意義な時間となりました。ピアノでは藤井先生ご自身で作ったメソッドを活用されていて、誰が学んでも一定の成果が挙げられるようなシステムを確立されています。10年前に作成したというそのメソッド本を少し見せていただいたのですが、基礎的なことから練習の仕方、演奏様式まで様々な内容が盛り込まれていて、ほんとうに素晴らしい内容でした。外部のピアニストを招いたときに、日本の学生にまったく負けていないと生徒たちのレベルに驚いたそうです。数年後にはギターでもそうなるという希望を持ちながら・・・

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あとで私に話してくださった藤井先生の言葉で印象的だったのは、学びたいという意欲や情熱を大切に育てたいというような内容でした。マン・セスペ音楽院に入学するのに音楽(楽器や楽典)の試験はありません。国語(スペイン語)ともうひとつ(なんだったか失念・・数学だったかな?)ができ、日本円にしたら僅かな月謝を払うことができるなら、誰でも入学できるのです。音楽は入学してから勉強するというスタンスです。
日本では「向いている」「向いていない」ということを先生が決めたりすることがある、それには反対ということでした。音楽の道といっても様々な仕事があり、トップの演奏家になるだけではない。たとえば一生伴奏者として生きて幸せなピアニストもいる・・というようなことをお話してくださいました。

このことは様々な場合があり一概には言えないことですが、私にも感慨深く響きました。私はピアニストになることを早い段階からあきらめ、少しですが複雑な人生を生き、いまはギタリストとして活動しています。そして私のような者でも、地球の裏側の遠い遠いボリビアでは歓迎していただき、必要としてくれる人たちがいました。いままで生きてきた内容で無駄だと思うことはありません。いまなにか行き詰まっている人がいたら、世界のどこかにはあなたを必要としている人たちが必ずいる、ということを伝えていきたいです。人の生き方は千差万別、その人その人のオリジナルな生き方を見つけるのが、人生の醍醐味なのかもしれません。


(つづく)