太郎さん

2011.08.31 19:34:18


杉村太郎さん。

亡くなられたことが、いまだに信じられません。
またなにかのサプライズで、
うれしそうに種明かしをする太郎さんを想像してしまうのです。
告別式でお顔を拝見しました。
姿は小さくなっていたけれど、
大きなことをたくさん考えているいつもの太郎さんのようでした。


太郎さん、ただただ本当に寂しいです。

みんなにとって本当に大きな存在の方が逝ってしまいました・・


退職してもう3年になりますが、表参道にはJBLの皆さんがいる、太郎さんがいてくれるということが、大きな心の支えのような安心感になっていました。

私がいた頃は闘病中とはいえ太郎さんはふっくらしてお元気で、発病してから一番調子の良い時期にご一緒できたのかもしれません。そのような時にご一緒できて、幸運だったと思います。私にとってこの会社で過ごせた2年半は、いつまでもキラキラ輝く宝物です。


太郎さんは私が入った頃にはすでに手術や抗がん剤治療のため入退院を繰り返していました。奥様によると7年半の闘病ということでした。7年半もの間、ほとんど辛さを見せることはなく、病気であるということは気づかれないくらい元気に仕事をされていました。

太郎さんの病名は、「原発不明がん」という癌のおおもとがわからない、とても重い病気でした。原発がわかっている癌に比べると、全身の癌と同じくらい治療も難しいのだと思います。

この人は病気なのにどうしてこんなにパワフルでエネルギーに満ちているんだろう、
と仕事をしている姿を見ながらいつも思ったものでした。
もし私が同じ病気だったら、とっくにダメになっていたと思います。

太郎さんは、本当にコトバどおり死なないで「生きた」人なのだと思います。倒れる日の前日まで仕事に没頭されていたということが救いのような気がします。

先日TVニュース(ZERO)で映った太郎さんのいつもと同じ散らかった机とテープで修繕された椅子を見たら、もっと仕事をしたかっただろうなという思いでいっぱいになりました。この言い方は適切かわかりませんが、本当にもっと仕事をさせてあげたかったです・・・


20代の頃、私はwebクリエイターとしていくつかの企業で仕事をしましたが、最後に辿り着いたのが、ジャパンビジネスラボという2つのコーチングスクールを運営する会社でした。

学生時代に一生懸命就職活動をした経験のある私は、本屋に山積みにされていた『絶対内定』は知っていましたし、我究館や杉村太郎さんという名前は知ってはいましたが、その頃はまだ遠い存在でした。遠い存在ではありつつも、就職活動というのは人生でとても一大事な経験で、そこを突き詰めている方というのは一目置いていたように思います。ですのでJBLという会社の存在を知り、お仕事をさせていただくことになった時はとてもうれしかったのを覚えています。

そうできることは多くはなかった私をどこまでも引き上げてくださり、認めてくださったのがJBLの皆さんであり、太郎さんでした。お互いを尊重して高め合う、そんな社風を皆でつくり上げているのです。ギターのことも応援してくださって、クラスのときに『白い軌跡』をたびたび流していただいていたことも思い出します・・


太郎さんの訃報を聞いてから、本当にいろいろなことを思い出しています。
入社後にはじめてご挨拶したときの茶目っ気のある太郎さん。ときには安室ちゃんのライブに行ったことをうれしそうに話していたり・・「我究してきた~」と言ってブレイクから笑顔で戻って来たり・・
ミーティングではいつも皆を笑わせて笑わせて・・・それでも緊張感は保ち、太郎さんの鋭い指摘に皆真剣でした。受講生のことを一番に考え、常により良いスクールを模索していました。
新しいサイトやパンフレットが出来上がったときの本当にうれしそうな姿。言葉をなくしてじっといつまでもスクリーンに映し出されたサイトを見つめてくださった姿。
言葉の隅々まで何度も訂正を繰り返し、どれも太郎さんの緻密な精神が生きていました。
手を抜かない、気を抜かない、最高のものをつくり上げたいという太郎さんの信念は、どのような仕事にも感じられました。太郎さんのアイディアはいつでも冴え渡っていて、その発想は深い考えや研究に裏づけされていました。どういうサイトやパンフにしたいのか、構想を伝授していただいたときの考え抜かれた内容も忘れられません。経営者でありながら究極の「美」を追求する芸術家のようにも見えました。

スタッフの誕生日のたびに皆でランチミーティングをしたり、スタッフの結婚式で皆でバンドを組んだり。海やスキー、ゴルフなど社員旅行の思い出まで・・・短い時間だったのに、こんなにたくさんの思い出をつくってくださっていたんだなと改めて思います。もっと長く一緒にお仕事をしていた方は、溢れるくらい思い出がありすぎて、言葉にできないのではと思います。
どれもがまだついこの間のことのように次々と思い出されるのです。

いつもいつも太郎さんはノリノリで、一番楽しんでいるようでした。
時には近寄れないくらいのピリピリしたオーラを出し、考え事をされている太郎さんも印象的でした。このピリピリオーラの繊細さとエンターテイナー気質の同居が、太郎さんのアーティストの側面だったようにも思えます。

退職する直前に連れて行っていただいた旅行でのミーティングで、一人ひとりへのミッションを確認する言葉がありました。それは人を見るプロからいただいた感動的な内容でした。今でも大切な心の支えとなっています。
その後の結婚式のとき、転移手術後で声が出ないから少ししか話せないと言っていたにもかかわらず、長い素敵な言葉をたくさんいただきました。お礼に伺ったときにいただいた主人に対する温かい言葉も忘れられません。


これだけご一緒した思い出があっても、
やっぱり太郎さんは雲の上の人のような存在です。
私みたいなのの言うことにも真剣に耳を傾けてくださり、考えてくださり、指南してくださって・・受講生やスタッフのことを常に考えている、謙虚な方でした。人を楽しませることが大好き、人をやる気にさせるプロ、そしてすべてを自分が楽しんでいる、そんな方です。

多分10年前20年前の太郎さんや我究館を知っている方とは、その印象が大分違うのではと思います。太郎さん自身、昔の我究館と今とは全く違うと言っていました。アメリカから帰って来て病気になって以降は特に変わったのかもしれません。とにかく時代の動き、求められていることに敏感で、いつも鋭い分析でスクールのあり方を進化させていた様は、とても刺激的でした。


太郎さん、たくさんのこと、お疲れ様でした。
本当に本当に、ありがとうございました。
R.I.P.


2月にAoビルに移転したときのパーティでお会いしたのが、
最後になってしまいました。

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太郎さんのプレゼン、もう見られないのですね・・・

「大事な娘さん息子さんを毎日遅くまでお預かりしてしまって本当にすみません、
ありがとうございます」というような太郎さんの言葉が印象的でした。
スタッフの家族も皆大事にしたいという気持ちが感じられるパーティでした。

優秀なスタッフの皆さんに比べたら豆粒ほどの存在で、しかも退職しているにも関わらず、その仲間に入れていただけたことが本当にありがたかったです。


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太郎さん痩せたな、と思いましたがこれが最後になってしまうとは思いませんでした・・
髪の毛がちゃんとあって・・抗がん剤投与はもうしていなかったのでしょうか・・・


重い病気で闘病されていたので、もしかしたらいつか突然よくない連絡が入るんじゃないかと恐れていたのは確かですが、それでもまさか本当に・・・と思います。

スタッフの方から数ヵ月連絡がないと、もしかしたらどうかなってしまっているんじゃないか、そんな心配はいつもありました。サイトで太郎さんの講演会の予定が入っていると、お元気なんだなと安心していたものでした。

本当にお元気だったんです。
昨年頃から痩せられたり、疲れているようなときもあったかもしれませんが
それでもパワフルで、こんなにはやくお別れしないとならないなど、
思った人はいなかったのでは・・・

会社が素敵なAoビルに移転されて、ますます精力的にお仕事されていたのではと思います。夏の暑さが厳しくて、体力がとられてしまったのでしょうか・・震災後、ますますやるべきことのエネルギーに満ちていたに違いないと思います。
新しいスタッフが増えて、受講生さんも益々増えて、やる気に燃えていた太郎さんが目に浮かびます。


ご家族の皆様の今後の平穏、生まれたばかりのお子様の元気な成長を祈るばかりです。
最後まで太郎さんと一緒にお仕事され、気丈に葬儀を手伝われていたスタッフの方々、
本当にお疲れ様でした。
3名の方の弔辞は本当に素敵な言葉でした。聡さんの弔辞、感動して思い出すたびに涙が出てきます。太郎さんの遺志は確実に受け継がれて続いていくのだと思いました。

スタッフの皆様、影ながらですが、これからも本当に応援しています。
太郎さんが遺してくれたPRESENCE、我究館というスクール、「世界一を目指す」といっていた太郎さんのスクール、
私のなかでは既に世界一です。


多くの人を育て、多くの人の背中を押し続けた太郎さん。
私は太郎さんに教えていただいたこと、太郎さんがこうなってほしいと思ってくださっていたことがあったとしたなら、少しも応えられていなかったんじゃないか・・そんな気持ちになります。もっと聞いてほしいこと、聞きたかったこと、見ていただきたかったことがありました。
太郎さん、まだ天国には行かないで、私にも少しだけ時間をつくってくださいませんか・・